納豆は100回かきまぜろ!

管理人Beansの日記です

終点、名古屋〜〜〜〜!

人は愚かさゆえに、過ちを犯す生き物だ。それも何度も。

 

違うというなら、それを立証する必要がある。

 

しかし、その立証は、フェルマーの最終定理よりも難しいだろう。

 

フェルマーの最終定理をわかりやすく知りたい方は、こちらをどうぞ。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

 

 

とても疲れている状態で(もちろん仕事ではない、遊びの疲れだ)、アレルギーの薬をもらいに皮膚科に行った。

長いソファに座り、順番が来るのをほうけた顔で待っていた。

診察室の扉を開け、患者を呼ぶ看護師の声が定期的にした。

待合室の天井から吊るされたテレビの画面に気を取られていたら、看護師が扉を開けて言った。

 

お立ち台になりまーす

 

夢でも見ているのか、と思った。

一体全体、皮膚科の診察で、お立ち台に上がって、診てもらうような診療があるのだろうか?

もしやバブルの時代に繰り広げられたという伝説の狂乱乱舞の世界が、このアベノミクス終焉の真っ只中において再現されようとしているのか?だとしたら、まさしく世の終わり、一時代の終焉に他ならないではないか!右往左往というのは、このことか!

 

焦った。

 

しかし

 

単なる幻聴だった。

 

「こちらになりまーす」が、大寒波到来の折、陽気に遊び果てた自分の愚かさを嘲るかのごとく、「お立ち台になりまーす」と聞こえただけだった。

 

つ・・・疲れてる・・・

 

 

 遊んで疲れて、まともに暮らせない、なんて、愚かなことだ。真面目に仕事をしよう。

それがいい。

そうするべきだ。

 

誰に言われるでもなく、そう自分を律した。分別のある大人だからそれくらいのことはできる、はずだ。

 

とりあえず目の前の仕事に専念した。

それなりにはかどった。

 

期限までの道筋も見え、息抜きしようと、仲間と飲みに行った。久しぶりの真面目な毎日に嫌気がさしていたのかもしれない。正直、その時点で少し浮かれていた。順調すぎたってことも、一つの要因としてあった。

 

飲みすぎた。

 

羽目を外した。

 

帰るのが面倒で少しでも楽をしようと思って、東京駅から新幹線に飛び乗った。

 

目が覚めると信じられない場所にいた。

 

終点、名古屋ー、終点、名古屋ー

 

聞き間違えではなかった。品川でも、新横浜でも、小田原でも、静岡でもなく、名古屋だった。

 

数百キロ離れた我が家を、懐かしく思う余裕もなく、終わってしまった上りの新幹線のホームをじっと見つめる冬の夜。

 

思えば遠くへ来たもんだ・・・

 

武田鉄矢の笑顔が、涙の向こうに滲んでおぼろげに浮かんだのだ。

 

Good day!