納豆は100回かきまぜろ!

管理人Beansの日記です

表現するって、いったい何だろう?「子宮に沈める」を知って感じたこと

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この記事を見て、こんな映画がやるんだ、という気持ちよりも、なんでこの映画を作らなきゃいけなかったんだ、という気持ちが瞬間的に沸騰するように湧き出てきました。

この映画の基になった現実に起きた事件のことは多くの人が知っているし、本当にいたたまれない、胸が張り裂けそうになる出来事だったわけです。事件の概要だけで、子供たちがどんなに苦しくて切ない思いをしたか、想像することができてしまうほど、酷くて悲し過ぎる辛い話でした。

この現実に起きた出来事を忘れられることは出来ないと思うし、こんなことが二度と起きないように行動するしかないのだけれど、それは映画によって、映像によって表現されなければならないことなのか?そうしなければ理解できない人たちがいるのだろうか?疑問に思うわけです。

この映画を平然と直視出来る人を探して、その人たちの精神構造を分析して、事件を起こす予備軍とならないよう抑止を図るためにこの映画は作られたんでしょうか?

でも、快楽だけを優先し、その先のことを考えない愚かな人種が、この映画を観ようとはきっと思わないでしょう。見る機会を与えられれば良いのだけれど、その機会すらも適切に与えられるのか、疑問に思います。

 

以前、ネグレクトに関する本を読みました。一人一人一所懸命生きようと しているのだけれど、環境や経験がネグレクトを生み出し、それが連鎖する。 

ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか (小学館文庫)

ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか (小学館文庫)

 

 

 Beansはネグレクトに関してたいした知識はありません。どうしてそうなるのか、本やニュースを読み、情報を得ても、正直理解できません。子供はとても弱い存在で、泣くくらいしか、抵抗することができないのに、そんな子供にどうして大人が虐待をすることができるのか、その理由が分からないし、本音で言えば理解したくもないです。

 

最近でいえば、渋谷駅で自分の娘に蹴りをいれて、地面にたたきつけるという衝撃的な映像が流れましたが、できることなら同じくらいのことを母親にしてやりたいとさえ思ってしまいます。あんな小さな子が、生きてく上で親しか頼ることができないのに、その親からむごい仕打ちを受けるなんて、不条理このうえない。

 

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子供をもつことは偶然とはいえ、どこかで覚悟していなければならないことだと思います。いつ子供ができても、その子の命を守っていく、みせかけでない覚悟みたいなものが心のどこかになければならないのではないか、そんなふうに考えます。できれば親になるべきでない人間が親になってほしくない。子供を切に願っても、授からない人たちもいるんだ。

 

 

この映画を作成し、表現し、伝えるという選択をされた監督をはじめとする関係者の皆さんの決断には敬意を表します。どうしても映像として表現し、伝えるべきと判断されたのでしょう。

でも、多分、この映画を観ることは出来ないと思います。あまりにも残酷で、この事件に関わった全ての人を呪いたくなるから。

  

We hope that today will be a good day for all children!